相談の多い喫茶店

「親が急に倒れたらどうする?」

ここはとある街の喫茶店。

「いらっしゃい!待っていたよ!」
思わず声が弾んだ。彼を待っていたからだ。

「何やどうした。また相談か?」
いつものようにふらっと入ってきた男は、カウンターの定位置に座ってコーヒーを注文した。

一年中シャツとエプロンの私とは違って、彼は知り合ったときの学生当時と変わらないラフな服装だ。30を過ぎて多少こざっぱりはしてきたが。

彼は大野。私の古い友人で、今は作家として生計を立てている。いつも執筆準備に熱心な調査を行うため、博識であり、口は悪いが適切な助言をしてくれるので助かっている。

「そうなんだ。来てくれてよかったよ。待ちきれないから連絡しようかと思っていたところだったんだ。」
私、河上は答えながら手早くコーヒーの準備を始めた。この時間、他の客はほとんど来ない。

この喫茶店は常連客が多い。そしてここの店主である私は、最近常連さんから悩み相談を受けることが増えてきた。不思議に思っていたが、その理由が徐々にわかってきた。

私自身は不器用で、お客さんの悩みを聞くことしかできないが、その後、大野に相談すると鋭い答えが返ってくるので、せっかくだからと、それをまたお客さんに伝える。するとお客さんが大層よろこんでくれ、なぜかその噂がだんだんと広がったようだ。

「オアシスに行くと悩みが解決したよ。」
という。オアシスというのはこの喫茶店の名前である。
「今日はどうしたんや?」
コーヒーをブラックのまま一口飲んで少し表情をゆるめ、のんびりと彼は聞いた。

「うん。いつもの相談でさ、常連さんが気の毒なんだ。ほら、児玉さんだよ。あのサラリーマンしているひと。
離れて住んでいたお父さんが急に病気で倒れたんだって。病状が安定しないからって、病院から延命も含めた治療方針についていろいろ聞かれるらしい。」

児玉さんとは常連さんで、たまにコーヒーを飲みに来てくれる。30代後半くらいであろう男性客だ。
「ふうん。以前本人は延命とか治療についてどう言ってたんや?」
「倒れる前は話してなかったらしい。普通話さないだろ。親子で延命治療についてなんか。」
「あほやな。」
大野は平然と失礼な事を言って、また一口コーヒーを飲んでから続けた。

「俺は事前にこういうことについて、つまりは延命治療や死について、誰でも家族と話しておくべきやと思ってる。もちろん、家族と話す前に、自分自身がどうしたいかをまじめに考えておくべきやな。
今回の流行り風邪でもわかったやろ?考えるべきは年寄りだけやない。
若者も子供も、生きている限り実は死と隣り合わせなんや。
それを見てみないふりをするなんてやっぱりあほやで。」

「あほあほ言わないでくれ。児玉さんに直接相談してもらわなくてよかったよ。」
「俺と直接はあかん。いつも言ってるやろ。俺のありがたいアドバイスも、本人が聞く耳を持たへんと、ないのと同じやで。おまえがお客にやさしい言い換えてあげてるから、聞いてくれるんやろ。」

実はそうなのだ。大野は言葉を選ばないので、私がお客さんに返事するときは、ある程度オリジナリティを出している。そうしないと、お客さんが聞きたくなくなるような話になってしまうからだ。

「それで結局どうしたらいいんだろうな。事前になにも話していなかった場合の延命や治療についててだけど。」

「そんなん、今ここで俺が答えられたら俺は魔法使いやで。
児玉さんの親父さんのこれまでの性格やら、言葉のはしばしにそのヒントは落ちてないか?
これまでどんな生き方をしてきて、どんな人やった?
そもそも今の病気の進行はどんな感じで、家族との関係はどうなんや。
俺は死に方は生き方そのものやと思ってる。
児玉さん一人で受け止めきれへんやろうし、もし他の家族もいるんやったら要相談やな。」

「なるほど。」

「だた、『病院』ていう場所自体、治療してなんぼなんや。
なんか前回取材して感じたな。人の命はいつか必ず終わるのに、
『最善を尽くす』治療ってどこまでの線引きなんやろうなって。
人が年取ることも、当然死ぬことも避けて通れる人はいいひんのに、なんか、あそこは何でもかんでも「治す」って考えているみたいに見えてな。
俺から見るとちょっと傲慢やないのかとさえ思ったわ。」

いつも冷静な彼がめずらしく一気に話して、思い出したようにコーヒーを飲んだ。
私はちょっと気圧されて、シャツのボタンをいじいじと触った。

「うん。今度児玉さんに話してみる。ただ、病気ってさ、なってみないとわからないじゃないか。」
少しは反論してもいいだろう。しかし、すぐに打ち返された。

「自分や家族の病気について『わからない』で済ませるほうが俺にとってはわからんな。今どきネットか本屋で何でも調べられるやろ。わからんことは自分で調べる。」

「そうは言ってもさ、そのお父さんの症状が特別やったら?」
「そのための主治医やろ。病状説明は必ずあるし、いくら医者が忙しいからって、患者の家族に聞かれたらちゃんと答えてくれるはずや。」

今日も気持ちが良いほど言い負かされる。けれど私には児玉さんを助けるために、もうひと押し聞いてみた。

「調べてわかっても、そこからいろいろ決めるのって相当きついだろうな。そういうとき、大野ならどうする?」
「俺は自分で決める。家族のことなら本人に決めさせる。本人が決められない状況なら、それまでの本人の言動やら性格を考えて、『この人ならこう選ぶ』ていうところを決める。」

「でもさ、決めるのって大変だろ。」
「あたりまえやろ。それでも決めるしかない。まさか昭和のドラマみたいに『先生におまかせします』なんて言わへんやろな。自分で決めるんや。その決断を他人任せにするのは、ただの思考停止やと俺は思う。」

ぐうの音もでない。もうちょっとやさしい言い方ができないものだろうかと思うが、彼が実は優しい男であることは、私は十分知っている。とにかく言い方がきついだけだ。

考え込んでしまった私の肩をポンポンたたき、彼は帰っていったのだった。この先児玉さんは厳しい判断を迫られることになるが、おそらくそれが必要なのだろう。

また今度、児玉さんに話さなければ。
私は自分のための一杯を入れ、店頭に出すバターケーキの習作を食べながら、児玉さんに話すときの順番を考え始めたのだった。

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大野伊織のまとめ

  • 実は生きている限り誰もが死と隣り合わせ。自分が命の最後について自分がどうしたいのかを考えておくこと
  • 自分の大切な人が、自分の死や延命治療についてどんな価値観を持っているのか話し合っておくこと
  •  病気になったときは病状について情報収集し、状況を理解すること
  • 「決断する」ことは本人にしかできない
  • 本人が決断できない場合、家族はそれまでの会話や性格から本人が選ぶであろう選択を尊重すること
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